保寧寺(ほねいじ)は埼玉県加須市日出安にある臨済宗妙心寺派の寺院です。
開山は鎌倉時代末期と言われており、歴史あるお寺です。

ホームページでは保寧寺の見所をご案内いたしますので、どうぞご参拝の際の参考にしてください。保寧寺(ほねいじ)

保寧寺の活動としては座禅会や写経会、仏教講座や御詠歌の会などを行っています。
埼玉県の寺院で座禅会や写経会をお探しのかたは、お気軽にご参加ください。

皆様のお越しを心よりお待ちしております。

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朝の御勤め

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明けましておめでとう御座います

令和七年 新春

生死のふるさと

「生まれたところだけがふるさとではく、死んでいくところもふるさと。

宇宙をふるさとにすれば、一緒のところになります。

数十億年前に誕生した生命は、

途切れることなく、そしていま貴方の命です。

この詩はご存知、2014年に亡くなられた、まどみちおさんの詩です。

「ぞうさん」や「一年生になったら」などの歌の歌詩を書いた詩人です。その他にもたくさんの詩を書いています。その詩は、優しくて柔らかく、穏やかなことばの連続で、全ての世代の人達の心を暖かく包み込んでくれるのです。誰にでもわかるやさしい言葉を使って「ことばのいのち」の真実を表現するメッセンジャーでも有りました。また、まどさんの至言と言われている次の言葉を味わいましょう。

『人間はなぜ詩を書くのか 人間はなぜ息をするのか 息をしないと死んでしまいます

私は詩を書かないと死んでしまうほどではございませんけれど 息の次に大事な物があります「言葉」でございます それがどうしても出てくるのでございます』 言葉の大事さの気づきに至るには、深い沈黙の時間があった事を忘れてはなりません。 まどさんは長い沈黙の後、コンコンと湧きあがる言葉の真実をやさしく、明るい言葉で、生きる事と存在する事の不思議さを生ききったのです。不思議三昧を真っしぐらに生きた人でした。

「こころのふるさと」なだとよく言いますが、「こころのふるさと」は一体何処にあるのでしょう?一体どこで感じるのでしょう?

大体は幼少期に育った生まれ故郷、それも両親、おじいちゃん、おばあちゃん等と関わった心象が「こころのふるさと」となってゆくのでしょう。最近亡くなった火野正平さんの自転車で尋ねるふるさと番組はそんな所をくすぐる様な内容で、人気番組でも有りました。

この番組は個人のごく身近な過去の心象と只今の心との接点を探るものですが、まどさんの「生死のふるさと」は、同様に、懐かしくふるさとを尋ねてはいるのですが、 この「ふるさと」は、現世の限られた時間空間中の故郷を尋ねている訳では無く、何十億年、地球誕生よりまだ以前の過去世から人類誕生の現世をつき超えて、さて、どこまで続くやら計りかねる未来まで突き抜ける、三世の世界を生き抜ける命のふるさとの在処を探っている様ですね。まどさんも人の命は生死一体だと洞察します。生死一体だとの確信に至るまどみちおさんの一生に万歳です。生まれる前の貴方の命、只今の皆さんの命、御先祖となった命。三千世界の宇宙の大パノラマから眺むれば同じふるさとに住む同根の命なのでしょう。

この確信に至るには、只今の命の有難さに気づく他、方法はありません。御先祖様に手を合わせて祈るのは、ご自分に手を合わせているのですね。御先祖様に手を合わせ、心する事のできないのは、自分自身にも手を合わすこともできず同時に自分自身を省みることも出来ません。生死は元々同じ「ふるさと」なのですから。

ご先祖様の命のとらえ方も、このようでありたいものです。

今年も世界は混沌の渦の中から抜けきれない複雑な様相です。平和を祈る一人一人の願う心は決して無駄ではありません。願う心は、必ずやよき道を示します。祈る心と行はとても大切です。今生きて生かされている不思議を驚きましょう。

皆さまのご平安を祈ります。

今年もよろしくお願いします。

無一 九拝

 

寒中お見舞い申し上げます。

先日は、「大般若経一切大魔最勝成就」の有難いお札と共に、まどみちおさんの「生死のふるさと」の詩及びそれを深く拈堤されたお言葉をお示し頂き有難うござしました。

まどさんは、小崎和尚がお書きになっているように、生きる事と存在する事の不思議さ、不思議三昧を生きまった人ですね。

父母未生以前の命は途切れることなくつながっている只今の自分の本来の命であり、死は自分の命がふるさまである大いなる宇宙の命へ帰一していく。その意味では生死一如であるのだと捉えるまどさんの死生観には大いに共鳴するものがあります。

稲葉先生は、<私達の命は「生者必滅」であると共に同時に「滅者必生」であるという二面の統一として存在している>と説かれています。

稲葉先生が米寿の時に「私達の命(イノチ)」と題して書かれたものがありますので、同封させて頂きます。

小崎和尚が最後は祈る心と行はとても大切です」と書かれていますが同感です。

最近、カトリック神父の片柳弘史さんの「祈りの力」と題した言葉を学びました。

「祈るとは、何があっても/最後まで希望を捨てず/何かを願い続けるということ。

願いが叶うとは最後まで希望を捨てなければ/道は必ず開けるということ。

一見無力な祈りこそ/じつは、不可能を可能にする力/、道を切り開く力なのです

又、曹洞宗の僧侶、南直哉師の言葉も印象に残っています。

「世界の様々な悲劇を前に、力不足で何もできないと、もどかしさを感じる人も居るでしょうが、まずは身近でできることをする。その縁がいつか、どこかで結ばれる信じる。それが祈りというものです。知らないふりをして生きていくなら、それが抑圧となって自己や社会をむしばんでいきます。」

厳寒の折、どうかご尊体ご自愛くださいますようお祈りいたしております。

般若団 清水秀男

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